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秋の読書はスパイスの香りと共に。コクテイル書房・狩野さんが選ぶ、カレーを感じる文学作品

スパイスの楽しみ方は、食べるだけではありません。スパイスの知識を身に付けたり、スパイスに魅了された人たちから話を聞いたりすることで、思いがけない魅力に気づくきっかけとなります。今年の読書の秋は、読むとスパイスの香りを感じられるような文学作品に出会ってみませんか?

今回は東京・高円寺で古本酒場「コクテイル書房」を運営する狩野俊さんに、スパイスやカレーライスにちなんだ本を紹介いただきながら、カレーと文学それぞれのルーツを深掘りしていきます。

今では国民食となったカレーライスが、日本に入ってきたのは明治時代。狩野さんは、「カレーライスと近代文学の歴史を紐解いていくと、意外な共通点が見えてくるんですよ」と話します。

さあ、スパイス香る文学の世界をのぞいてみましょう。

高円寺駅から徒歩5分ほどの位置にあるコクテイル書房。大正時代の古民家を活用した、どこか懐かしさを感じる趣きのある空間。東京都杉並区高円寺北3-8-13 https://www.koenji-cocktail.info/

お酒や食事が潤滑油になる。本と会話が生み出す言葉の空間

コクテイル書房 店主の狩野俊さん

高円寺の北中通り商店街にある古本屋さん、コクテイル書房。古書店でありながら、本や文豪にちなんだお酒や料理の提供も行うお店で、1997年4月に東京国立市で創業しました。まずは、なぜ古書店でお酒や料理を提供するようになったのか、その始まりについてお聞きしました。

狩野さん:学園都市として開発された国立は、昔から学生の多い町でした。自然とお店に学生が集まってきて、一緒に酒盛りをするうちに自然と料理やお酒を提供するようになったんです。高円寺に移転したのは、2017年頃。移転後も、小説に出てくる料理をイメージした「文士料理」や文学作品にインスピレーションを得て生まれた「文学メニュー」などを提供しています。

原稿用紙に書かれたメニュー表

古本屋と飲食店を融合させた独自の形態で営業を続けていくうちに、狩野さんは「これが本屋として正しい姿ではないか」と思うようになったと言います。

狩野さん:そもそも本は、言葉がまとまったものです。その成り立ちを考えると、本に囲まれた空間で、会話としての言葉までもが飛び交うさまは、本屋として自然な姿なのかなと思います。うちはひとりで来るお客さんが多いのですが、居合わせた誰かのひと言をきっかけにその場の会話が弾む光景をよく目にしますね。そしてその時にお酒や食事があれば、コミュニケーションの潤滑油となりもっと豊かな時間になるんです。

日本の近代文学とカレーライスの意外な共通項とは?

文学カレー『漱石』

コクテイル書房の名物のひとつに、作家や小説にインスピレーションを得て作られた「文学カレー」があります。その誕生のきっかけを尋ねると、日本の近代文学とカレーライスの共通項が見えてきました。

狩野さん:カレーライスと近代文学の歴史に重なる部分が多いと気づいたことが、文学カレー考案のきっかけでした。実はスパイス自体は、江戸時代に日本に入ってきていたんです。でも当時の日本に、カレーライスなんて料理はありませんでした。なぜなら当時は、スパイスを食用ではなく漢方薬として使っていたからです。実際にカレーライスが日本に登場したのは明治時代。インドの香辛料がイギリスで加工され、“カレー粉”として日本にやってきます。つまり、イギリスの産業革命がなければカレーライスはここまで世界に広がらなかったし、日本が開国をしなければカレーライスが日本に入ってくることもなかったのです。

日本でカレーライスが一般庶民に食べられるほど普及したのは、大正半ば頃だそう。カレーライスが一般化した背景には、エスビー食品が関わっていると狩野さんは言います。

狩野さん:大正12年にエスビー食品さんが初めて国産のカレー粉を開発したことで、輸入品よりも安価にカレー粉が手に入るようになりました。また、陸軍や海軍でカレーライスが頻繁に食べられていたために、「自宅でもカレーを食べたい」と考える軍人や軍隊から帰ってきた人が増えたことも家庭での普及を後押ししたのでしょう。日本のカレーに入っている定番の野菜、ジャガイモやニンジン、タマネギは、大正時代になって食べられるようになったものです。それと同じ時代に養豚ブームが起こり、現在国民食として親しまれている「日本のカレーライス」の原型ができた、と私は考えています。

日本の近代化によって、そのスタイルが確立していったカレーライス。驚くことに近代文学の確立にも、日本の近代化が関わっています。

狩野さん:明治時代に入るまでの小説と言われているものは、勧善懲悪をモチーフにしたものや、教訓、啓蒙の意味合いが強い物語がほとんどでした。その後、明治時代の中頃に確立されたと言われている日本近代文学では、人間の心理などを細やかに描写し、「いかに生きるのか」という生の根本を問うような小説が生まれました。その背景には日本の近代化、具体的には身分制度が一応なくなり、個人という単位にスポットが当たるようになったことがあります。自由が手に入ったことで、自分で生き方を模索し、また自分とはそもそも何者なのか、と考える時代が到来したのです。とにかく悩み、苦悩する……そんな小説が多く書かれるようになったんです。これらは、明治以降に日本に入ってきた外国の小説に影響されたと言われています。

近代化によって生き方の選択肢が広がったことで、独自の発展を遂げた近代文学。その近代文学の誕生に欠かせない人物として、狩野さんが名前を挙げた人物が夏目漱石です。

狩野さん:近代文学と言われる小説は、話し言葉に近い口語体で書かれる「言文一致」が特徴です。二葉亭四迷の『浮雲』が近代文学最初の作品と言われていますが、現代の私たちからすると大変読みにくい文体。私が個人的に今の小説と変わらずに読める作品だと思っているのは、夏目漱石の第2作『坊ちゃん』です。漱石は“話し言葉で小説を書く”という手法を確立させた人だと思っています。

「日本は島国なので海外との交流が盛んではなく、その特殊な環境によってカレーライスも近代文学も独自の発展を遂げたのでしょう」と狩野さん。カレーライスも近代文学も、外国から入ってきたものをうまく活用し、日本独自のスタイルを築き上げたという共通点があったのですね。

狩野さんセレクト。カレーライスが食べたくなる文学作品3選

狩野さんに、スパイスやカレーライスを感じられるおすすめの本を3冊ご紹介いただきました。

①『カレーライスと日本人』著・森枝卓士(講談社学術文庫)

インドで生まれたカレーが、いまや日本の食卓の王座についている。日本人はなぜカレーが好きなのだろうか。われわれが食べているカレーはインドから輸入されたのか。アジア全土を食べあるき、スパイスのルーツをイギリスにさぐり、明治文明開化以来の洋食史を渉猟した著者が、「カレーとは何か」を丹念に探った名著。刊行後、『美味しんぼ』で詳しく紹介されるなど、日本の食文化論に大きな影響を与えた。著者による補筆を収録。

引用:『カレーライスと日本人』(森枝 卓士)|講談社学術文庫

狩野さん:近代以降に日本人がいかにカレーライスと触れてきたかがわかる一冊です。私はこの本でカレーライスの歴史を学びました。日本の近代化と共にカレーライスが日本に入ってきたこと、そして国内で定着し、日本独自のスタイルが確立したことなどを知り、文学との共通点を見い出すことができたんです。当店の文学カレー誕生のきっかけにもなった本、カレーライスのルーツを知りたい方はぜひ手に取ってみてください。

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②『三四郎』著・夏目漱石(新潮社)

熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物聞く物の総てが目新しい世界の中で、自由気儘な都会の女性里見美禰子に出会い、彼女に強く惹かれてゆく……。青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、三四郎の恋愛から失恋に至る過程の中に描いて『それから』『門』に続く三部作の序曲をなす作品である。

引用:夏目漱石 『三四郎』 | 新潮社

狩野さん:近代文学の確立を推し進めた夏目漱石の代表作『三四郎』。漱石は胃が弱く、食べ物を制限された時期もあったからか、その反動で作中には食べ物の描写が多いんですよ。この本にも主人公が大学の同級生に誘われて、本郷通りにあった洋食屋「淀見軒」にカレーライスを食べに行く様子が描かれています。明治時代に大学で学問を学ぶことは特権階級、いわゆるエリートの証であり、カレーライスを食べられるのは一種のステータスでした。当時のカレーライスの立ち位置をよく感じられる本でもあります。

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③『御馳走帖』著・内田百閒(中公文庫)

朝はミルク、昼はもり蕎麦、夜は山海の珍味に舌鼓をうつ百閒先生の、窮乏時代から知友との会食まで食味の楽しみを綴った名随筆。〈解説〉平山三郎

引用:御馳走帖 -内田百閒 著|文庫|中央公論新社

狩野さん:大正から昭和にかけて活躍し、夏目漱石の門下生でもある内田百閒が書いた「食」に関するエッセイ集です。「食」をテーマにまるまる一冊の本を書けるようになったのは、この時代からだと思います。当時、日清戦争や日露戦争を経て日本は豊かになり、海外からの輸入品も増えました。一般人も食を楽しめる時代になったという社会的背景も伺い知ることができます。作中には、百閒がなけなしの10銭でカレーライスを食べるという描写があり、カレーライスの誘惑に勝てなかった百閒の人間臭さに思わずくすりと笑ってしまいます。

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狩野さん:何より百閒の考える「ごちそう」の定義に、私自身とても共感しています。百閒は料理の味だけでなく、誰とどんなシチュエーションで食べるかを重視していました。一緒に食べたい人と、食べたい場所で食事を楽しむことで、どんな料理もごちそうになると私も思っています。ただ、百閒はごちそうにありつくまでのこだわりがとことん強く、その貪欲さには驚かされるとともに、はっとさせられます。まるで噛んだら香りが弾けるスパイスのような衝撃と魅力がある一冊です。

言葉は栄養。食べることと読むことは、人間に必要不可欠なもの

近代化をきっかけに日本に根付き、発展したカレーライスと文学。狩野さんのお話から、その共通点の多さを知ることができました。最後に、「食べることと読むという行為自体にも共通点があるんですよ」と狩野さんは話します。

狩野さん:どちらも人間にとって必要な行為です。食べることはもちろんですが、読むことも生きる上ではとても重要。文字を読み、自分の中に言葉を蓄えることで、コミュニケーションに役立てることができます。大昔に行われた実験で、一切話しかけずに赤ちゃんを育てた結果、その赤ちゃんは長く生きられなかったそうです……人間って、言葉がないと死んでしまうんですね。まさに、人間にとって言葉は栄養なんです。

「食べることと読むことが似ているのと同様に、作ることと書くことも同じではないか」、そんな思いを表現するために、文学と料理の融合を目指すコクテイル書房。皆さんも作ったり食べたりするのと同じように、時には読書や人との会話から “栄養”を取ってみてはいかがでしょうか?

文:大瀧亜友美 / 撮影:Ryo Yoshiya

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